私は10年間幼稚園の先生をしてきた。経験を積んだ先生ではなかったけど、日本では特別な資格がなくても英語の先生として雇ってくれるところが多い。幼い頃から小さな子供を教える職に就きたかったから、日本で夢だった仕事をスムーズに得られたことは祝福だなって感じてた。教えることが好きで子供が好き、だからこの仕事が大好き。今は自分自身の子供を育てているから少しお仕事休憩中。産休バンザイ!自分は良い先生だったと思いたい、きちんと仕事したし、子供たちは私のことが大好きだったし、10年この仕事をする中で何が子供たちにヒットして何がしないか、たくさんのことを教えてもらった!子供たちはそれぞれ違うけど、時々に自分たち先生は子供のエキスパートみたいに思うことがある。恥ずかしくも覚えていることは、園児の親御さんにどうやって子育てすべきかとか子供に良い習慣づけをさせるかなどを言ってしまったことがある。でも、当時の私には子供はいなかったし、親になることがどんな感じなのかを実際に経験してたわけではなかったから全く分かっていなかった!自分自身が親になってどれだけ謙虚になったか!自分の子供が生まれたら、風船がパーンって割れたみたい!時々、本当に謙遜になるって意味を教えてもらうために娘が生まれてきてくれたんじゃないかって思うこともある。 私は彼女のことが大好き、彼女は優しく思いやりがあり、面白くて元気、でも自由奔放で強い意志を持ちとっても情熱的。たとえ彼女が全然違う性格だったとしても問題はなかった、20人くらいの子供たちを決められた習慣/時間の中で面倒を見るのと、四六時中くっついてくる自分の子供の面倒を見るのとでは違う、今どんな気持ちかをいつもストレートに伝えてママの限界までプッシュしてくる子供たち、本当に幼稚園での仕事とは全く違う! 自分ならできると思ってた、むしろ赤ちゃん&子育てはそこまで大変じゃないって思ってた。そんな考えは完全に撤回! 幼稚園の先生であることと実際の親になることがどれほど違うか、説明するわ!これっぽっちも似てもいないから! 親になることで、私は大きなギャップに気づいた。忍耐、恵、理解、関係するスキルのギャップ、子供と前進すること、また時にはヘトヘトになる程の大きなギャップ。それらは大きな弱さを示してくれた – そしてそれらは神様にしか埋めてもらえないものだった。神様が埋めたいギャップ!でも、私にはそのギャップが必要だった!自分をより神様に近づけ、神様の必要性をより感じ、自分が思い描いていた“スーパーママ”になるため、全てを完ぺき主義で貫かなくてもよいように。‘「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 ‘コリント人への第二の手紙 12:9-10私たちはいろんなギャップ(期待値)を持っている、結婚生活で、経済面で、友情関係で、キャリアで、神様との関係で、また子育てスキルでも!そういうギャップがあっても大丈夫、だってそのような人生の理想と現実の間にある隙間を神様は埋めたいって思っているから!神様は、彼の真実と知恵で私たちを満たす力がある、神様はあなたの「助けてー!」って叫びに答えたいって思ってる!では、人生のギャップ(理想と現実の間にある隙間)に対して、私たちは何ができる?1. ギャップを使って神様ともっと近くなろう私たちは“魔の2才児”のステージの真っただ中(早く終わってくれるといいな…)。怒りが爆発したことも何回かあった、涙きじゃくる時も、実はゲームみたいで結構楽しいんだけどね!けれど、私の娘・カーラのアップダウンの激しさとそれに上手く対応できない時、自分が良くない親だとついつい思込んでしまう。
子供たちを怒った時、イライラしてしまった時、自分がクタクタに疲れた時、またはただ単に娘の激しさにどう対応すればよいかわからない時。そんな時、自分が悪い親、みんなも私を悪い親だと見てるって感じてしまいがち。
でもそれは真実ではない、神様は私たちに神様の方に向いてもっと近づいてほしい、そして頭によぎった「自分はダメな親」っていう真実でない声から自由になり、完璧主義な思考から自由になり、またパーフェクト・ママになることを止め、自分のプライドを取り除いてくれる。 それは1回だけではなく、神様に何回も明け渡す必要がある。なぜなら、注意していない時にそういうウソやプライドは自分に押し寄せてくるから。それらが出てくる度に神様へ明け渡す、そうすると神様はいつも以上に我慢する力や恵、子供への愛情で溢れさせてくれる。 時々、このギャップのせいで違う方向へ押され、神様から遠ざかってしまうことがある。私たちは神様に目をかけてもらうほど立派じゃない、神様を私の問題や弱さで心配させたくないって思うときもある。でも、神様は私たちの身に起こるすべての分野でサポートしたいって思ってくれてる。神様は私たちの人生に入りたい、私たちをまた完全にさせるために。 ギャップの中で神様に近づくことは私たちの考え方を新しくし満たしてくれる!時にはギャップが必要、もっと神様に近づくために! 2. ギャップを使って他の人に希望をもたらそう子育てが幼稚園で子供を預かる時の様だったらどんなに容易だったか。それだと自分の強みだけで乗り切れた。でもここでのポイントは、自分の力だけだと今いる場所までしかいけない。でも、私たちは今より更に上の場所へ行くために神様の力が必要。
“魔の2歳児”ステージを何とかして乗り切るためには、私には神様がもっと必要 -神様の知恵、導き、忍耐力、恵、愛、理解力、信仰、そして希望。これらが手に入るなら何でもする – けれどラッキーなことにこれらは聖書を読み、聖書から神様に語ってもらい、彼に私の心を新しくしてもらうことによって得られる。私が神様に満たされることによって、回りの人たちへも希望を与えることが出来る。
親になるってことは毎日が楽しい、でも正直なところ時にはしんどい時だってある、爆発のぶつかり合い、親として自分の行動が正しいかどうか悩む。でもだから、私は子供たちのために神様の恵と愛が必要。どんな人でも難しく感じてる部分がある、でも自分の力で何とかして完璧にしようなんて思わないで、今これを読んでるママへはこう励ましたい―自分が欠けてるって感じてる部分も神様がカバーしてくれる!
神様に頼ってギャップを埋めてもらい、それをシェアすることによって希望は得られる!時には自分を完璧に見せず素直になってほしい、神様は私たちが想像している以上に他の人もサポートしてくれる。
3. ギャップから目を離し、将来を見よう![]() 困難な時、問題にしか気づかない。だってそれが私たちの注意の的だから。私にとって、子供たちがする愛らしくてキュートな行動を全て見逃して問題だけ注意を払うことも容易にできちゃう!でも問題だけに捕らわれると、その分野に自分自身でロックをかけそこから出られなくなってしまう。それは私たちを監獄にいれる、けれど神様はそこにいて欲しくないって思ってる!人生におけるギャップは一生縮められないものではない!カーラが20才になる頃には酷いかんしゃくを起こす事はない!時に私たちは目先の絶望的な状況だけを見るのではなく、前を向いて神様に目を向けよう。叫びまくってる自分の娘を抱っこ出来なかった時、神様から「この状態は一生続くわけではない」って再確認してもらった。
人生のギャップは一生居続ける必要もない。その内満たされるか、そこまで気にしなくなる日がくるから!私たちが問題に目を向ける事を止め、神様が私たちに示してる素晴らしい将来を見ていこう。私も子供と彼らの将来のビジョンを見せてもらうために神様を見続ける必要がある、日々の生活で起こっている問題にフォーカスするのではなくて。神様は私にも子供たちにも最高な将来を用意してくれてるし、そういう思いを日々その日のハイライトとなってほしい、自分の問題ではなくて。
|
あなたの人生でのギャップをどのように埋めるか – 自分が十分じゃないと感じだ時にどうするか
